紅茶のおはなし
イギリスにひろまった紅茶文化はそもそも、イギリスで生まれたわけではなく、始まりはオランダから広まったのです。紅茶という飲み物は、歴史的にさまざまな事件を絡んで今に至ります。葉は中国が原産ですが、日本は遣唐使を通じ、茶が入り、その文化を独自に発達させてきた、緑茶文化の日本。
九州の平戸からオランダが緑茶をもちかえり、貴族の間で流行り、それがイギリスへと流れ、イギリスだけにとどまらずその後フランスや、今のアメリカに(独立前)広がりました。
その後、イギリスは中国人の技術者をとりこみ、いまの紅茶といわれる発酵茶へと変化をとげ、そのほとんどが発酵茶(紅茶)として、現在もブレンドティーとして、人気を高めています。
イギリスは自分たちで紅茶葉をつくることができないので、植民地に葉をつくらせ、成功を収めていきます。紅茶は人気で、そこから沢山の税収をとるという、ねじまがった条例を求め、それはやがて、植民地の人々怒らせることになりました。
紅茶の歴史を知る人にはあまりにも有名なボストンパーティ事件は239年前。紅茶を積んだイギリスの船に、アメリカ人グループが紅茶の箱何百という数を海に投げ捨て、その事件はやがて、アメリカの独立戦争へと発展していきます。
また中国から、葉を買い求めたイギリスは、国に銀がなくなり、今度は銀を取り戻したくて、中国にアヘンを売って取り戻すという、負の利益をもたらせ、それはやがてアヘン戦争をひきおこします。勝ったイギリスは、中国の一部、香港を植民地とする条件を出すのです。アヘン中毒で苦しんだ一般市民も少なくないのです。
香港が中国に返還されたのは、遠い昔のことではありません。チームカツ代も香港には何度か、訪れたことがあり、ところどころでイギリスを感じる風景に出会いました。イギリス式の紅茶をおいしくのませてくれる店にも出会います。
オリンピックは平和の祭典とよくいいます。ロンドンは紅茶の街。優雅で心癒される紅茶には、実は悲しいおもいをした人々、平和を勝ち取るために、戦った沢山の人がいると思うと、その味わい深い紅茶の向こう側には悲しい歴史があるということを知らないで通り過ぎるわけにはいかないのです。
人間は反省と学習のある生き物。2度と繰り返してはならないことは何かを、しっかりと心に刻みたいと思います。
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