ちょっとタメになる
醤油の話

醤油の歴史は古い。しかしながら、発祥のルーツや起源は、今一つ正確なものとしては残っていないので、まず、前回やった特集の味噌と関係してきます。中国では紀元前2000年に味噌の原型になる『醤』と言う何種類かの塩で発酵させたものがあったそうです
醤油, カツ代の家庭料理
日本の奈良時代には塩と大豆を発酵させた、味噌と醤油のような“醤"が宮中では食されていたのではないかと言う文献が残っているとのこと。

鎌倉時代に和歌山県(当時は紀州)の興国寺を開いた覚心(かくしん)という僧侶が中国から径山寺味噌の製法を伝えているうち、その製造過程で味噌樽に溜まる液体が、おいしいと発見し、今日の醤油の始まりとなります
醤油, カツ代の家庭料理
ただし、ここではまだ味噌と醤油の区別はあまりされてなかったのです。大阪は日本の都道府県の中でも、市がもっとも早く発達したせいか、紀州から大阪へと醤油は流れ、江戸時代に入るとすでに大阪では醤油は庶民の間ですでに広まっていました

また、京都では精進料理の発達とともに、薄口醤油が作られるようになります。京都・紀州経由で利根川流域に船で運ばれた醤油は(下り醤油といいます)今の野田、銚子で今でいう関東好みの醤油(薄口しょうゆに対して濃口醤油)の製造に大きく変化をし、船で江戸川をとおって今の東京の街(江戸)に運ばれました
醤油, カツ代の家庭料理
今の千葉県(下総)、野田、銚子では、江戸で消費される関東ものの醤油が主流に盛んに製造され、今日に至るようです。いま全国的に使われている濃口醤油の味の基本は、江戸ッ子好みの味だったのだと思います。

これはうどん屋などでも、今でも食文化が残っているのがよく分かります。薄い色のつゆにうどんが入るのに対し、東京の温かいうどんはつゆが真っ黒。東京ッ子は慣れていますが、関西で育った人が東京にくると、つゆの色の濃さに度肝を抜かれるといいます。でも、この醤油の歴史を考えると・・・腕を組んでなるほど・・・・と思う訳です


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