大豆と日本
実はこの特集、“豆腐特集”をやるつもりでした
昔、勉強したノートや卒論まで引っ張り出し、豆腐のことをもう一度洗いなおしていました。
もともと中国から入ってきた豆腐は、江戸時代の前半はとても高価なものとして、庶民はたべてはいけない禁止令のでる食べ物だったのです
僧侶は精進して豆腐や高野豆腐を、武士たちは豆腐を贅沢品としていました。
いくつのかの説があるにせよ、豆腐が凍って脱水⇔乾燥をくりかえした高野豆腐や凍み豆腐に行きついた時、「これは高野豆腐もいれないと」…そんなことを考えているうちに大豆製品の多さに驚き、日本の食卓と大豆の縁はきっても切れないことに改めて考えさせられました。
納豆菌の元となるものは、中国の“鼓”といって、納豆の発生ともいわれているのです。しかし、不思議なことに中国には、納豆らしき食べ物はないようです
納豆はいまでこそだいぶ全国的に食べられるようになりましが、人気度、土着度、ともに東日本で圧倒的に強いのです。西日本での人気は今ひとつ。こんな白いご飯や麦ごはんにあう納豆も、日本の中で真っ二つに好みは分かれるのであります
納豆にかける醤油は、昨年の銚子特集を覚えている人もいるかもしれませんが、やはり大豆
ふと考えると、味噌も大豆。これも味噌特集でみなさんに語りました。
日本食の歴史は、大豆とともにある…そう大げさに語ってもおかしくないほど、大豆とともに日本の食卓があります
そこで、日々私たちの食卓をかざる大豆にスポットを当ててみました。
また、この大豆を日々変化前進させている、私たちニッポンのメーカーさんをおもえば、なかなか頑張っている人たちなのです
ただ残念なのは、大豆は日本全国どこでも作られているものでしたが、いまはそのほとんどを輸入に頼っています
あの醤油ですら、100パーセントに近い醤油の原料大豆を輸入でまかなっていのです。
もう一度、醤油特集、味噌特集をごらんになりたい方はこちらからどうぞ。
■醤油特集〜銚子電鉄の旅〜
■味噌特集
そして現在、銚子もまた避難している人たちがいるとニュースでみました。
その昔、銚子の醤油会社の創業者が故郷和歌山に帰郷の際、地震がきて多くの村人を津波から助け、復興に死に物狂いで当たったという話は日本の国語の小学校5年生で勉強する『稲村の火』という話の中で、あまりに有名です
また、このブランド名のついた美味しい醤油は、銚子のヤマサ醤油の工場で今も商品のひとつとして売られ、この歴史にもふれた小さいプリントがついています
いまも和歌山には、その創業者浜口吾陵氏を記念して防災センターがあり、防災の大事さを語りついでいると聞きました
その中で、長く感じるカタカタと続く地震は、津波が大きく被害をもたらす、という言い伝えがあるそうです。
思えば今回の地震、東京にいた私たちもいつもと違って、長いと誰しも感じたことでしょう。
今後、未来を背負う子供たちに「長く感じた地震は、津波が怖い」…語り継ぐことの一つなのかもしれません。
大豆から話がだいぶ、それてしまいましたが、納豆の町、茨城もいまもなお、余震のさなかにいます
被災地、岩手岩泉の手作り豆腐も忘れることのできない素晴らい豆腐です
どの土地も大豆とは切り離すことはできないのです
そして、心から、震災の被害に逢ったすべての方々に心より、お見舞い申し上げます。
すこしでも、前に前にいくことができますように