カツ代の家庭料理

コラム_その2

カツ代の家庭料理

スパイスを中心に見た歴史

 スパイスの歴史は驚くほど古く、有史以前にまで遡ります 古代エジプトではミイラを作る際に、高貴な香りと防腐作用のあるシナモンやクローブ、クミン、マジョラムなどが詰められたそうです また、中国最古の薬物書『神農本草経』には、薬用効果のある植物として、シナモンや花椒がすでに記載されています

 こうしたスパイスの生産地は、東洋やアフリカに限られていました
やがてスパイスが肉食中心の地中海地方やヨーロッパでも必要不可欠なものとなり、アラブの国々を経由して運ばれるようになります 高値で取引されるスパイスは東西貿易の重要な位置を占め、アラブ商人たちは大きな富を得ていました

 ローマ帝国時代になると、スパイスは海路や陸路(シルクロード)を用いて運ばれるようになり、ヨーロッパ各地に広まります
希少価値の高いスパイスは、料理のみならず、化粧品、薬品にも使われ、その価値はますます上がりました ローマが倒れ、アラブ帝国の力が強まると、東洋で採れるスパイスは長い間ヨーロッパに届かなくなりますが、やがてイタリアのベネチアやジェノバが新しい貿易の中心地となり、スパイス貿易も再び盛んになります ベネチアとアラブの商人が結託することでスパイスはますます高騰し、ベネチア商人たちは多いに潤ったと言われます スパイスの中でも特に価値が高かったのがペッパーで、税金や地代の代わりにも用いられていたようです

 13世紀初めに、イタリア人のマルコ・ポーロがアラブ支配の地を迂回するルートでアジアを旅した記録「東方見聞録」を記します
東洋の様々な産物が紹介され、その中に中国やモルッカ諸島(インドネシア)のスパイスもあり、人々の東洋へ関心はさらに高まりをみせます

 宝の島、東洋への憧れが、新たな航海の開拓へ意欲をかきたてました
15世紀、大航海時代が幕を開けます まず、最初に航海に乗り出したのは、スペインやポルトガル 1492年に、西廻りでインドへ行くつもりだったコロンブスが新大陸(アメリカ大陸)を発見、1497年ポルトガルのバスコ・ダ・ガマがアフリカ喜望峰を経てインド西岸に到着 さらに1520年にはスペインに雇われていたポルトガル人マゼランが太平洋の横断に成功し、世界一周を果たします シルクロードに代わる貿易航路が開拓されたことにより、長い間アラブ商人によって独占されていたスパイスの取引が自由競争によって値がつくようになったのです

 16世紀から18世紀は、スパイスの産地をめぐる支配権争いの時代です
ポルトガル、スペインのほか、オランダ、イギリスが次々に参入し、激しい植民地争奪戦が繰り広げられました。その間、スパイスの産地の住民がどれほど翻弄されたかは想像に難くありません もしもこの世にスパイスがなかったら、世界の歴史や地図は変わっていたであろう・・・と言われますが、この言葉をあらためてかみしめてみると、世界中の人々を虜にしてきたスパイス、その魅力をもっと知りたくなってきます

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日本とスパイスの関わり
 日本とスパイスの関わりも大変古く、奈良の東大寺正倉院にある献物帳には、胡椒、桂心(肉桂)などの名が挙げられています
その後もスパイスは、中国との交易やヨーロッパ人の来航、東南アジアへの進出などを通じて日本へ入ってきました。けれども、他の多くの国のように何種類ものスパイスを使いこなしたり、あるいは辛味の強いスパイスが生活に根づくということはありませんでした その代わりに、生姜、わさび、山椒、唐辛子などを“薬味”として使う独自のスパイス文化が生まれました これは日本人が農耕を主とし、海や山に囲まれた比較的温暖な気候で、素材を活かす食事を好むことと無関係ではないでしょう
 
 江戸時代には、唐辛子が庶民の間に広がります
唐辛子(チリ)は、コロンブスが新大陸を発見したとき、メキシコから持ち帰り、世界中に広がったスパイスです 日本へは鎖国以前、16世紀半ばにポルトガル船の漂着によって伝来したという説が有力視されています

 幕末から明治維新にかけて、洋食が徐々に日本に入ってきました。カレーライスもそのひとつ
インド料理をイギリス風にアレンジした洋食として伝来したものです 何種類ものスパイスをミックスさせたカレー粉も一緒に伝わりました

 戦後、食生活が大きく変わり、世界各国の料理が日本に紹介されるようになり、何種類ものスパイスが手に入るようになりました
この冬は、世界に思いを馳せながら、暮らしの中にもっとスパイスを活かしてみませんか
 


コラム_その1

冷えとスパイス


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