日本人の食生活の西洋化に重要な役割をはたしていく文献として、明治15年(1882年)に福沢諭吉によって創刊された『時事新報』という日刊新聞の中で「何しよう子(ね)」という毎晩の献立を紹介する記事が明治26年9月24日〜明治27年2月18日まで掲載されていました。今でこそ、当たり前の料理記事ですが、その頃に新聞というメディアで料理の献立が紹介されるのは初めてのことだそう。その献立の中に、明治26年10月4日の献立に「煮物 キャベーヂ巻き」という記事を発見。
作り方は“キャベツを丸ごと茹でて葉を一枚ずつはがし、叩いた牛肉と卵、メリケン粉を混ぜた団子を包む”とあり、醤油と味醂で煮る和風仕立て。合わせる献立は、蜆汁と、酢で〆たシコ(かたくちいわし)の卯の花和え。
また、明治24年に創刊された女性向け雑誌『女鑑(じょかん)』では、明治28年11月5日発行第97号の「家政〜だいどころ」コーナーで「ロール、キャベーヂ」がより細かい作り方で紹介されており、そこでは“キャベツの葉は一枚ずつはがしてから塩茹で、肉には塩、コショー、牛乳を加えてよく混ぜ、「コゲ汁」で蒸し煮する”と書いてあり、作り方が時事新報よりも少し進歩しているものの、残念ながら「コゲ汁」がいったい何なのか調べてみたものの正体不明…野菜や肉、魚を焼いたときに鍋に残る出しガラのようなものに水を加えたものだろうか?はたまた、ご飯のおコゲ汁といったところか―?!
しかしながら時は120年程も経っているのに、当時のロールキャベツの作り方の基本的なところは、現代と大きく変わっていないのですからすごい。当時のロールキャベツは、一体どんな味だったのでしょう。
1890年代に発行されたこれらの新聞や雑誌は、ごく少数の知識欲の強い人たちに読まれていたようで、そういった人たちが牽引し、やがては庶民へと広がり、日本の生活スタイルは急速に西洋化へ向かったのでした。明治から昭和の食文化の西洋化は、当時の主婦の憧れとして、台所という日常の中でキャベツを素材にした料理を楽しみながら、ご近所さんと、いまでいう女子会ならぬ井戸端会議で、苦心の和洋折衷料理の自慢話などで盛り上がっていたのかしら、、、なんて想像したりできますね。
春キャベツは巻がゆるいため大変軽く、包丁をいれるとサクッと柔らかいのが特徴。味は甘く、調理時間はあっという間で水分も多いのです。生で食べる料理には、春キャベツが一番かと思います。
それに比べて、秋から冬にかけてとれる寒玉キャベツは巻きがキュッとしまり、玉も大きく、春キャベツの1.5倍位の重量があります。高原キャベツは、八ヶ岳や嬬恋など、限られた土地(高冷涼地)で栽培され、どちらかというと秋冬(寒玉)キャベツに見た目は近いのですが、涼しいところで育つ性もあって、見た目より柔らかなのが特徴です。