歴史 〜明治から現代〜
トマトが食用として栽培されるのは明治に入り、キャベツやレタスなどの西洋野菜とともにヨーロッパやアメリカから改めて入ってくるようになってから。明治の初め頃から徐々に料理にも使われるようになってきたことは、明治24年(1891年)刊行の『婦女雑誌』の西洋料理を紹介するコーナーにトマトが登場したことからもうかがえます。
明治27年11月14日発行の『婦女雑誌』第21號には、トマトシチューとトマトロース(←ローストの間違えか?!)が紹介されていますので下記のコラムに引用しますね。
普及は昭和とはいえ、すでに明治後半の文献にトマトを熱湯に入れて皮をむく技、トマトを器に見立てて具を詰めて焼く料理が登場していたとことに驚きます。時を経て、昭和初期には米国から甘いトマトが導入されて本格的な栽培が始まり、戦後は食生活の西洋化とともに一般家庭に少しずつ普及していったトマトですが、サラダとして生食することが多いため、甘みが強くトマト臭の少ないトマトが主流となりました。
現代では、栽培方法などが工夫され、さまざまなサイズや糖度を高めたトマトが増えてきて果物なのか野菜なのかわからなくなるほど!ここまでトマトに強い甘さを求めるのは日本ならではのことらしいです。消費者の好みに合わせて工夫をしてくださる栽培農家さんには頭が下がる思いです。トマトのブランド化は進み、その美味しさは世界的にみてもずば抜けて評価が高いと言われています。
種類
昔からおなじみのトマトは『大玉トマト』。昭和のころはファーストトマトという品種が主流でしたが、いまは桃太郎という品種が主流となっています。夏は北海道産が最も美味しく、だいたい10月中旬頃まで出荷されます。
ここ数年人気の『ミニトマト』は全国的に作らており赤だけでなく『黒、黄、緑、オレンジ』といった様々な色や形、味があり、それぞれに『モモちゃん、チョコちゃん、きりちゃん、みどりちゃん、オレンジチカ』といったかわいい通称がついていて、面白いですね。
最近、糖度が高く皮がうすいミニトマトの「プチぷよ」という品種が注目を浴びていますが、運送が難しいという問題があるようです。また、糖度の高い『フルーツトマト』ですが、糖度が高い=皮が硬いということでもあり、食感という点ではまだ人気が今一つのトマトですが、今後の研究で改善されていくことでしょう。他にもミニトマトと大玉トマトの間のサイズの『ミディトマト』があります。
2016年の時点では、大玉53%、ミニトマト34%、フルーツトマト7%、ミディトマト6%という売り上げ比率になっています。
生でかぶりついても良し、火を通し旨みをぎゅっと凝縮させてソースにしても良し、お弁当の飾りとしても良しなミニトマトの赤は元気をくれる色。日本の食風景に華やかな彩りを添えてくれる欠かせぬ存在とも言えますね。
旬
トマトの旬は夏というイメージがあり、確かに夏になると沢山のトマトが店頭に並びます。しかし、梅雨に入ってしまった地方の現場の声(生産者)によると、実は6月の梅雨に入った頃から雨の多い期間は、他の時期と比べるとおいしいトマトの収穫は難しいそう。24時間高温で雨が多すぎる土地では、露地物もハウスも難しいとのこと。
ここではテニスボール位の大きさの、一般的な大玉トマトについてお話をしましょう。トマトは元々、乾燥して太陽が燦々と降りそそぐ「高冷地帯・赤道直下」で作られてきました。日本の土地に当てはめると夏の「北海道産の露地もの」が旬にあたります。続いて「長野・茨城・福島」が旬に。これらを“夏秋トマト”といいます。晩秋から春の旬は「熊本」がトップ。続いて「愛知・栃木・千葉」が旬となりこれを“冬春トマト”といいます。旬は日本列島を桜前線のように移動していきますので、時期によってどこの産地か聞きながら買い物をすると美味しいトマトにありつけます。
最初に露地ものの話をしましたが、トマトの品種改良と栽培方法は日々進歩し、生産者は様々な勉強とチャレンジを繰り返しています。露地栽培・土耕栽培から水耕栽培へ移行しつつあり、これにより温度管理はもちろんのこと、美味しいトマトを作るために欠かせない水分調整も細かく設定できるようになってきています。ハウスも昔と違い、日進月歩で性能が良くなっているようです。
露地ものだけではなく、ハウス栽培も含めて1年を通じ大活躍のトマト。そんなトマトの生産者が大事にしているのは「美味しさや甘みだけではなく、酸味や青臭さ、肉質、みずみずしさ、食感などすべてを含めて」だそうです。
江戸時代のトマトの文献
1668年、江戸時代の絵師、狩野探幽(かのう たんゆう)が『草花写生図巻』のなかで「唐なすび」と題してトマトを写生しています。また、1709年に刊行された貝原益軒(かいばら えきけん)の『大和本草(1709年)』巻之九には「唐ガキ(又珊瑚茄と云う俗名ナリ)」の名で登場し、“実(み)はホウヅキより大にして…”と記載されています。さらに、1731年(享保16年)、毘留舎那谷(びるしゃなや)の写本『東莠南畝讖(とうゆうなんぼしん)』では「六月柿・珊瑚珠茄子」として紹介され、淡い色調で描かれた可愛らしいトマトに“7月中旬頃紅くなり、その色珊瑚珠のごとく八月に熟す”という文が添えられています。
赤く色を染めていくトマトを見て、茄子や柿、珊瑚にたとえるセンス、遊び心もいっぱい。江戸の頃、東京近郊で栽培されていた野菜の中で赤いものと言えば、唐辛子ぐらいでしょうか。他は、小松菜、大根、茄子、きゅうり、かぶ、ごぼう、生姜、茗荷、長ねぎなど。トマトの赤は色みとしてことさら際立っていたはずです。ただ、味となると、トマト独特の青臭みや酸味がかなり個性的だったせいか、人々にはすぐには受け入れられず、食用になるまでにはかなりの年月が必要だったようですね。
『婦女雑誌』第21號より
●トマト(西洋赤茄子なり)
トマトを沸湯の中へ三分間程入れ皮の少しやはらかになりたる處(ところ)を度(ど)とし、へたと、しんと、を例の柿のへたと共にしん迄ゑぐり取る工合に取り皮を剥き、なま絞りにし其酢味のつゆと種とを絞り出し鍋へ入れパンの極柔らかなる處を少し入れ鹽(しお)少しと砂糖を匙に一杯半程加へとろとろ火にて二十分程煮てとろとろになりたる處を皿へ入れるなり之をシチウ、トマトと云ふ、
又生の儘(まま)、へたと、しんと、を去り其ゑぐりたる穴へ極(こま)かにして煮たる牛肉を詰め牛の油を掛け焼くなり之をトマト、ロースと云ふなり
大正時代のトマトの文献
心惹かれる本を見つけましたのでご紹介したいと思います。
大正3年(1914年)に刊行された、山田貞康著『西洋野菜の作り方と食べ方』。この本は、西洋野菜を簡易に栽培する方法を研究した著者が、家庭園芸の普及を図るために書かれた書物なのですが、その内容は野菜の栽培方法だけでなく、野菜の食べ方(料理法)、種類など様々なことが書かれており、第1編「実を食べる野菜」の筆頭として「蕃茄(英名 トマト)」が登場します。ちなみに蕃茄(ばんか)とはトマトの中国名(漢字名)で、蕃は外国や異民族(この場合は中国)を現していおり、文章は次のように始まります。
「近頃東京では、大分トマトを用ひる人が殖えまして、何處の水菓子屋でも必ず之を店先に飾る様になりました。然し今の處ではまだ到底一般の嗜好には向きませんので、時にはトマトと云ふものは、庭の眺めを添へるものだ位にしか、思はん方もある位でありますが、外國では「トマトのある家に胃病なし」と迄云はれて、盛んに之を用ゐます相です、〜」
当時のトマトの存在がどのようなものであったか、ありありと目に浮かんできますね。文章はさらに続きます。
「大抵の人がトマトを見ますと、其美味相な眞赤な色に迷ひまして口まで入れますが、非常に臭の高いのと、ホウヅキの様な味がしますので、直ぐに吐き出して仕舞います、がトマトは決してソウ不味いものではありませんので、少し食べ慣れて来ますと、到底忘れる事の出来ない一種の味があります、殊に夏の暑い時などには、其の甘味と酸味の具合が良く口に適ひまして、到底胡瓜や西瓜の及ぶ所ではありません〜」
特に文章の終盤では、筆者のトマトへの愛情が伝わってきて、当時のトマトの魅力を余すところなく表現しているなぁ…と思いませんか